お城の店長門屋

いまさら聞けない和の文化

 

今年の冬は大雪で読者のみなさんも辟易(へきえき)されたことでしょう。それだけに待ち遠しかった春。春といえばお花見ですね。

花見

 お花見の歴史は古く、もとは穢(けが)れを祓(はら)ったり春の豊作を祈ったりするための儀式で、山の神様に捧げるお酒を持ち寄って宴を催していたのが起源とか。それが奈良時代に入って宮中などで花を愛でながら詩歌(しいか)を詠む遊びへと変わっていったそうです。
 お花見といえば今では桜ですが、実は奈良時代以前はお花見といえば中国から伝来したばかりの梅で、桜に変わったのは平安時代以降のことです。
 お花見の風習が庶民に広まったのは江戸時代からとされます。3代将軍の家光が奈良の吉野山から上野に桜を移植させたほか、8代将軍の吉宗も桜の植樹を奨励したことなどもあって桜の名所が増え、人気の行楽行事になっていきました。

 

(長門屋店主 笹林 修)

 

3月の行事で全国的に知られているものに、1日から14日まで奈良の東大寺で行われる「修二会」があります。天下泰平、万民快楽、五穀豊穣など人々の幸福を祈願する行事です。

お水取り

 通称「お水取り」と呼ばれているこの行事は天平勝宝4年(七五二)年以来続いているものです。3月13日の未明、東大寺敷地内の若狭井という井戸から、ご本尊に供える「香水」という霊水を汲み上げることからそう呼ばれています。

 お水取りに先立って3月2日に福井県小浜市の神宮寺で行われるのが「お水送り」の儀式です。
 神宮寺では大護摩をたいてその火を松明に移し、遠敷川の上流まで行列して香水を流します。これが10日後の13日未明に東大寺の若狭井に届くと言われているのです。
 小浜から奈良へ香水が流れ届くと考えると壮大なロマンが感じられます。

 

長門屋店主 笹林修

 皆さんは初午(はつうま)をご存じですか?

初午とは五穀豊穣、商売繁盛などの守護神として広く親しまれている各地の稲荷神社の縁日で、春の豊作祈願が原型とされています。

 現在は新暦2月の最初の午の日に行われていますが、本来は旧暦2月の最初の午の日で、元は春先の行事でした。なぜ、この日になったかというと、全国の稲荷神社の総本宮である京都の伏見稲荷大社に祭神が降臨したのが和銅4年(711年)2月11日とされ、この日が初午の日だったことに由来しています。

 この日、全国各地の稲荷神社では「正一位稲荷大明神」と書かれたのぼりを立てて、赤飯や油揚げ、お団子などをお供えして祝います。

 2月の2回目の午の日を二の午、3回目を三の午といい、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午、もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もあるようです。

午の日

(長門屋店主 笹林 修) 

 今回は鏡開きのお話です。まず、鏡餅は何なのかというと「歳神(としがみ)」様に対するお供え物です。そしてその形には色々な意味が込められているのです。

 鏡餅の形は、元は「三種の神器」が淵源(えんげん)とされ、橙(だいだい・柑橘類)、御幣(ごへい・白紙の紙を折った物)、譲葉(ゆずりは・餅の下に敷く葉)、裏白(うらじろ・シダの葉)、海老、扇などをあしらい、四方を赤く縁取った四方紅に乗せて飾ります。

 橙は長く木から落ちないことから長寿を、御幣は繁盛、譲葉は子孫繁栄の願いが込められているとか。つまり、鏡餅というものは古来、私たちの生活と密接に関わり合ってきた存在なのでしょう。

 そして、1月11日が「鏡開き」の日。実際にはお餅も切るのですが、武家社会では切腹につながる「切る」という言葉は禁忌(きんき)とされ、「運を開く」という意味を込めてこう呼び習わしたそうです。 

鏡餅

長門屋店主 笹林 修

 年の暮れには欠かせない「お歳暮」ですが、実は日本にしかない慣習だとか。そもそも正月を迎える準備を始める日(「正月事始めの日」と呼ばれ12月13日のこと。)までに両親や目上の人などに正月の準備に必要な品々を贈る慣習でした。さらに遡れば、年を越すにあたり塩鮭やスルメ、数の子などを先祖の霊に供えた御霊祭の名残とされています。今では日頃お世話になっている人に感謝を込めて送るという意味合いに変わっており、食べ物に関わらず様々なものが贈られています。

 ただ、季節の挨拶なので贈るタイミングを外さないようにしたいものです。古式によれば12月13日までですが、世間一般には12月初旬から25日までと認識されているようです。それにも間に合わなければ「お歳暮」ではなく「お年賀」にするのがマナーですね。

(長門屋店主 笹林修)

お歳暮IMG

 

11月の和風別名は「霜月」。その名の通り秋が深まり寒くなりました。23日には「新嘗祭」が行われます。
 
 新嘗祭とは古くから行われている宮中行事。天皇が収穫された穀物やお酒を神に供え、自らも食して実りに感謝する儀式です。  
 明治5年の改暦までは旧暦11月の2番目の卯の日に行われていました。特に天皇が即位して最初に行うものを大嘗祭といい、即位を知らしめるものとして大々的に行われたそうです。
 新暦に改められてからは11月23日と定められ、勤労感謝の日となった今も豊穣を祝う収穫祭として全国の神社で行われています。
(長門屋店主 笹林 修)
三宝

 

 神社にはつき物の鳥居は何のためにあるかご存知ですか?
鳥居とは神域と人間が住む俗界を分ける結界(けっかい)、神域への入り口を示す一種の門とされています。
 
 その起源については諸説ありますが、天照大神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸(あまのいわと)から誘い出すために「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)(鶏)」をとまらせた木が始まりという説が一般的に知られています。
 材質はかつてはもっぱら木材や石材が使われていましたが、現在では鉄パイプや鉄筋コンクリートで造られたものもあります。形状には大別して上の部分の笠木(かさぎ)が反っている「神明系鳥居(しんめいけいとりい)」と反っていない「明神系鳥居(みょうじんけいとりい)」があります。
 県内最古の鳥居としては山形市元木、山形市蔵王成沢、天童市青池の三カ所に残されている石造りの鳥居が有名です。
 普段は何気なく見過ごしがちな鳥居、改めて眺めてみるのも一興ですね。 
(長門屋店主 笹林 修)
鳥居

 

 「敬老の日」は国民の祝日に関する法律で「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と定められています。若い世代に高齢者福祉に関心を深めてもらいたいという気持ちも込められています。
 
 敬老の日の始まりは諸説ありますが、昭和22年に兵庫県のある村長が「こどもの日」「成人の日」があるのに老人の日がないのはおかしいと考え、村長権限で村役場を休みにして地域の老人を集めて慰労会を開いたのが始まりとする説が有力です。
 この運動が広がり「としよりの日」として制定されたのが29年。その後「としより」という表現に物言いがついて40年に「敬老の日」に改められ、41年に国民の祝日になりました。9月第3月曜がその日です。
 高齢者を敬う日を国民の祝日にしているのは日本だけだとか。  
(長門屋店主 笹林 修)
敬老の日

 

暦のうえでは立秋を過ぎて暑さもピークを越し、だんだん涼しくなってお盆の時期がやってきます。
 
 お盆というのは略語で正式には盂蘭盆会といい、サンスクリット語のウラバンナというのが語源だそうです。直訳すると「逆さ吊り」という意味らしく、お釈迦様の弟子のひとり目蓮が母を救う話に由来しています。
 目蓮は死んだ母親が餓鬼道に落ち、逆さ吊りの刑にされ苦しんでいるのを知ります。どうしたら母親を助けられるかお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は7月13日(現在の8月13日)にたくさんお供え物をして供養するように勧めました。すると母親は極楽浄土に行けたということです。
 この故事からお墓参りをし、先祖を供養する習慣ができたと言われています。ちなみにわが国では6世紀の推古天皇の時代に初めてお盆の行事が行われたと伝えられています。 
(長門屋店主 笹林 修)
お盆

 

7月の代表的な行事に五節句のひとつ「七夕」があります。織姫と彦星のロマンティックなお話や、笹に短冊を掲げることは皆さんよくご存知だと思います。
 
 調べてみて初めて知ったのですが、7月7日の七夕に「そうめん」を食べるという風習があるとか。3月3日にはあられ、5月5日には柏餅を食べるのと同じ習わしのようです。その由来は中国の故事によるもので、平安時代の書物に「そうめんを食べると大病にかからない」と記されていて宮中から一般に普及したようです。つまり千年以上も前からの風習というわけです。
 節句には旬のものを食べて無病息災を願う意味がありますが、これほど長く続いているのは日本人の生活に合っているからなのかもしれません。
 ちなみに全国乾麺協同組合連合会ではこうした伝統から7月7日をそうめんの日と定めているそうです。
 (長門屋店主 笹林 修)
たなばた

 

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